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福岡の占い師Suiのブログ

占いコラム(5)日本人はいつから自己肯定感が低くなったのか?

 

 

ここ数年、自己肯定感というワードが本当に一般化しましたね。

アダルトチルドレンやら「毒親」などのワードも流行っていますが、これらが自己肯定感の低さの要因とされています。

特に酷い虐待を受けて育ったわけじゃなくても、現代人の半分以上は多かれ少なかれこの「自己肯定感の低さ」を抱えています。

 

ここで疑問です。

私たちはいつから自己肯定感が低くなったのでしょう。

今までの歴史の中で自己肯定感が高いのが当たり前だった時代はあったのでしょうか。

 

国や地域によって歴史的背景の影響が異なるので、日本ではどうなのかと絞って考えてみます。

 

個人的に縄文時代に興味があるのでよくその手の記事を見たりするのですが、日本における縄文時代には和を重んじる文化があり、温暖な気候にも恵まれ食糧にもあまり困らなかったそうです。

元々の日本人の温厚な性格の特徴もあいまって争いごとも少なくかなり平和に暮らしていたとされています。

子供は集落全体で育てるのが当たり前。

なので子供の父親が誰か分からない状態でも特に困らなかったそうです。

食べるための事にあまり時間や労力をかけずに済んだので、凝ったアクセサリーを作ったり、縄文土器も調理器具のためにあれほど複雑な装飾を施せるとは本当にゆとりのある時代だったと言えます。

 

おそらく縄文人たちは自己肯定感が高かったでしょう。

 

農耕が始まり文明が発展してからも、一部の上流階級以外の庶民たちは、集落単位でみんなで畑をしながら生活を助け合って生きるというスタイルは縄文時代から変わらず引き継がれてきたようです。

 

特に育児に関しては、子供は溺愛する事は無いがとにかく自由にさせながらみんなで見守る、というのが長く日本の子育てスタイルだったようです。

 

虐待やDVのような事があったとしても周囲の目が筒抜けだったし、例えば夫に嫌気がさした妻は「もうあんたと一緒に居たくないから私だけ隣の村に引っ越すわ」と、隣の村の余裕のある家族に迎え入れてもらう、という事もできたそうです。

 

こういう感じは江戸時代くらいまで続きました。

 

ここまではみんなまあまあ自己肯定感は高そうです。

 

明治維新くらいからジワジワと不穏な空気がたちこめてきます。

生活基準が「集落(村)」から「家族(夫婦)」の単位に切り替えられ、さらに家庭内に身分の優劣や役割も決められて個人が尊重されない取り決めになってしまったからです。

 

昭和になりその流れはさらに加速していきます。

身に余るプレッシャーを背負い続ける父と、逃げ場もなくただ耐えるだけの人生の母に育てられた子供たちはほぼ間違いなく自己肯定感は低いでしょう。

しかしその子達が時代を作っていくのです。

その末に何が起こったでしょうか。

戦争ですね。

 

話は変わりますがX JAPANのTOSHIが昔、信仰宗教に洗脳された時の話で、まず最初に集団で自信に対するありとあらゆる悪口や暴言を浴びせられながらリンチされたと言います。

自尊心が底をつくほど傷ついた頃合いで救いの手を差し伸べる。

すると洗脳状態が生まれる、と言う事です。

 

昭和という時代は歴史レベルでそれを行ってた訳ですね。

 

おそらく人口のほぼ8割以上は自己肯定感が極度に低いという状態を作っておいて、「富国強兵、天皇万歳」を仕込む。

 

これは誰かが最初から意図的に仕組んだ事なのか、自然とそうなったのかは分かりません。

 

しかし一つ言えるのは、私たちはいまだに「戦後」を生きているという事です。

 

戦争で焼け野原になった後、反動で起こった高度経済成長でバブルという極端な状態を経験し、バブルを知ってる親に育てられた私たちは基準がメチャクチャになり現在の不景気に葛藤してます。

 

そしてかつての洗脳の時代から「自己肯定感の低さ」と言う「負の連鎖」のかたちで影響を受け続けているのです。

 

「今」とはそんな時代なのですね。

 

じゃあどうすれば良いのかというと、みんなで新しい意識の時代を作っていくしかないでしょう。

世界単位でも、個人単位でも。

 

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