なぜ仕事をしなければいけないのか。
人生の中で一度はこう思った事あるでしょうか。
特に20代や思春期の時期はこんな事考えがちです。
働く事の意味が分からない。生きてるだけでお金がかかるなんて酷い世の中だ。なぜ家賃など払わなければならないのか、。
働く=お金を得る事です。
お金なんて得体の知れないもののために何で仕事なんて事しなきゃいけないの?
となるのはごもっともです。
今の世の中は社会のシステムが複雑化してるのでその辺り分かりにくくなっています。
日本昔ばなしが好きでよく見てるのですが、この頃の社会システムってとても単純なので働くって事がどう言うことなのか分かりやすいんですよね。
動物として生まれたらまず食べていかなければいけない。
現代でもお金を稼ぐことを「食べていく」という表現をしますね。
人間は生まれたら畑を耕して収穫する。或いは獲物を仕留めたり木の実などを採取する。
これが生きる事の全てです。
人間以外の生き物を見てみましょう。
みんな「食べるためのこと」に一日中費やしていて、満腹で安全な時は休んでいます。
常に外敵から身を守らなければいけない、病気になっても薬も無い、いつも死と隣り合わせで生活しています。
呑気に見えますが過酷な状況です。
人間以外で考えると生きること自体全て「仕事」なのですね。
現代の人間で考えると、食べる事は食べる事の仕事をしてくれた人たちから買うことができます。
身の安全も国やシステムが守ってくれるので税金を支払います。
更なる安全はお金を払えば得ることができます。
病気になってもある程度保証があります。
日本では、よっぽど特殊な状況でない限り「生存」が保証されています。
現代の言う「仕事」って、会社勤めで事務職だとパソコンをひたすら見つめたり営業職とかは取引先に頭を下げに行ったり、それって自分たちの「命」と直結してる行動ではないので俺ら何やってんだろって感覚になるのも無理はありません。
昔だと「仕事」といえば農作業か狩猟などでしたが、それら以外で何か秀でて得意な人がいたらそれの専門職となってみんなの役にたちます。
大工、鍛冶屋、呉服屋など、生きて行くには欠かせません。
特別歌が上手いとか楽器が上手いとか言う人が発見されたら、それは才能なので尊敬され、特別に本来の仕事はせずにそれに没頭する事を許してもらえたりと言うこともあったそうです。
だから多種多様な仕事が生まれたのですね。
私たちの目に映る全てのものは他の誰かの「仕事」によって成り立っています。
今座っている椅子を作ってくれた人、今着てる服を作ってくれた人、お茶を飲むコップを作ってくれた人、住まいは設計士さんが設計して大工さんが作ってくれて、いつでも安全な水が飲める環境を作ってくれる人達がいて、肉や野菜もそうですが、「今日は疲れてるからご飯作りたくないな」を叶えてくれるコンビニのおにぎりやお惣菜を作ってくれた人たち運んでくれた人たちそれを売ってくれるコンビニの人。言い出したらキリがありませんね。
その仕事をしてくれた方々にも幸せに生きていただきたいものです。
だから私たちは働くのです。
もちろん働けない人たちも昔からいました。
障害や病気があったり高齢だったり色んな事情で思うように仕事が出来ない人たち。
彼らは家族や集落で守られてきました。
もちろん境遇に恵まれずのたれ死にするパターンもたくさんあったでしょう。
しかし基本的には、少なくとも日本ではそういった人たちを守る事も仕事のうちであり、自分たちが生きる事と同等の事だと捉えられていたそうです。
現代では行政や福祉のシステムがその役割をしています。
古代も現代も変わらず世界はみんなで成り立っています。
そのつくりが分かりやすかったり分かりにくかったりするだけです。
世界はみんなで成り立っている。
それを形成してるものは「仕事」であり「お金」であり「かかわり」なのですね。
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